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日々の雑感が惰性で書かれた怪文書

ポチポチゲームは愛である

「ポチポチゲーム」と言われて、一体何を思い浮かべるだろうか?

 

有名なソシャゲであれば、『あんさんぶるスターズ!』、『A3!』、「Fate/Grand Oder」などなど……ブラウザゲームポチポチ周回ゲームではないものを挙げる方が難しいので割愛する。

 

さて、かくいう私も例に挙げた3つは一通りプレイしたことがある。あんスタはサービススタート時、えすりは人気が出始めたあたり、FGOは3周年記念あたりで始めた記憶がある。

 

まあ、今となっては全てアンインストールしているのだけれど……。

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ポチゲーをやる上でまず必要なのは時間だ。ある程度の時間に余裕があり、それを推しのため虚無に帰せる勇気も必要である。毎日周回していれば、積み重なったプレイ合計時間は24時間では留まらず1週間、掛け持ちならば実質1ヶ月ぶっ通しと同じプレイ時間になっていたりするかもしれない。

 

では何故そんなポチポチゲームにも息が長いソシャゲがあるのだろうか?

 

意見としては、ゲームでまで頭を使って走りたくないだとか、音ゲーで音楽に制作のリソースを割くぐらいならストーリーに力を入れて欲しいなど、色々な意見や願望があると思う。それぞれの好きの形が違うのだから、仕方ない。

 

しかし、それだけでは説明がつかない。いくらひたすらタップし続けるゲームシステムが好きだとしても、ゲーム自体が面白くなければ続かないだろう。

 

そう、ポチポチゲームとは愛である

 

推しのために排出設定の低い運営をひたすら札束で殴り、イベ走のためにスタミナドーピングを買い占めてライバルがひしめくイベントランキングを夜通し走る(例外あり)

 

推しのためにライブならば北海道から果ては九州までどこへでも飛んでいくし(無理でもライビュ)、普段はメルカリでしこしことグッズを買い漁り、自宅は推しのポスターから抱き枕まで、まさにうっとりルームとでも言うべき推し一色の部屋になっていく。

 

たかがポチゲされどポチゲの境地である。

 

ゆるく推す浅いファンからすれば、ある意味正気の沙汰ではないのかもしれない。

 

いや、実際正気ではないのだけれど。

 

正気を失って尚、推しの尻を追いかけるその様は、愛ゆえに成り果てたオタクの正しい姿だ。正道、と言っても良いのかもしれない。新イラストの顔が良いから仕方ないという免罪符を片手に握り締めて走る姿は芸術的である。

 

別の言い方をすれば、プレイ時間もしくは今までのタップ数、金額は推しへの愛の量だと考えれば納得行くかもしれない。いや、自分の中で納得させなければならないだろう。

 

私は時間と愛を引き換えることが出来ず、もっぱらストーリーを全て開け切ると課金していても途中でやめてしまうことが多かったポチポチゲーム。

 

一度アンインストールしてしまうと新しい章が出たよ!とか好きそうな新キャラが出たよ!言われても、もう一度最初からやり直すのはちょっと......という思いで敬遠してしまうのも確かだろう。

 

唯一無二の可愛い推しさえいれば、私もあんスタ等もやめてしまうこともなかったはずだ。まだまだ私の推し探しの旅は続いている。かもん!まだ見ぬ君!私の源氏!私のお姫様ああああ!